恐怖の泉

後味の良い怖い話「約束の甲子園」

毎年、夏が近づくと思い出します。

私は幼馴染のAと小学4年生からリトルリーグに所属し、切磋琢磨していました。
いつしか2人で甲子園へ出場する夢を持ち、高校には県内でも野球の強豪校へと一緒に進学しました。
Aと私は甲子園出場、そして打倒甲子園常連校と高い目標を持ち、とにかくひたすらに練習していました。

そんな中、高校2年生の春にAが練習中、体調を崩して倒れ救急車で運ばれて行きました。
私は心配になり、練習終了後にお見舞いへ駆けつけるとAの両親が来ていて私にこう告げました。

「Aは癌だった。検査結果では余命半年らしい。」

頭が真っ白になりました。

私はAの両親や主治医に
「Aとのバッテリーは2度と組めないと言う事ですか?」
と泣いて尋ねていたそうですが、記憶が定かではありません。

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この日を境に、Aは闘病生活に入り部活の練習には出て来れなくなりました。
私は、とにかく必ずAと甲子園に行くと心に決め、レギュラー獲得に燃えました。
人一倍練習をしていた成果が出たのか、2年生でエースになることができました。

地方大会は順調に勝ち進んで行き、1勝する度にAへ報告をしに病院へ行きました。
最初は元気に報告を聞いていたAでしたが、病状が進んでいるのか段々と反応も鈍く弱々しくなっているような気がしました。
笑顔にも力がなくなっていくのが、わかりました。

翌日は県大会決勝、勝てばついに甲子園というところまできました。
しかし私はなかなか寝付けず、外に出ました。空気を吸って落ち着こうと思ったのです。

近所の野球場を歩いていると人の気配がしたので後ろを振り向くと、なんとそこにはAがいました。
Aはニコニコと笑いながら
「今からお前の球を受けてやるから思いっきり投げてこい!」
と言ってきました。
私は
「お前病院は?」
と不思議に思ったのですが、Aは
「いいから早くしろよ!」
と言うのでグローブとボールを急いで家に取りに行き、Aへ向かってボールを投げだしました。

Aの捕球は、やはりどのキャッチャーよりも最高で投げやすく、あっという間に50球程投げました。
するとAは
「お前なら大丈夫だ!甲子園頑張れよ!」
と言うと消えてしまいました。

私は、何となく察しました。

小学生の時から長年バッテリーを組んできた幼馴染です。
最後にお別れを言いに来たんだな、と。

翌日、朝早くにAが亡くなったという知らせが届きました。

私達は、Aの為にも絶対に甲子園へ行こうと声を掛け試合に挑み、2対0で見事甲子園出場を決めました。
しかし、甲子園での全国の壁は高く1回戦で敗退してしまいました。
翌年の3年生でも再度夏の甲子園に挑みましたが、2回戦で敗退しました。

私はその後、甲子園で肩を酷使したためボールを投げれる状態ではなくなり、野球を辞めてしまいました。
今では私も社会人となりましたが、今年もビールを手土産にしてAの墓参りに行こうかと思っています。

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