恐怖の泉

シリーズ怖い話「みのりの体験談」

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黄色い長靴

私が4才の頃。
夕暮れ時に近所の子供達と道で遊んでいた。

右手が県道、左手が御霊道。分岐点に柿の木がある。
その木の下に、男の子がひざをかかえて座っていた。
いつからそこにいただろう、3歳くらいだろうか。
私は気になった。

皆には見えていないのだろう、姿がぼんやりしている。
この世の者じゃない。
口をきいてはいけない。
わかっていたけど、気になった。

1人帰り、2人帰り、皆いなくなるのを見送った。
思い切って話しかけてみる。

「だあれ?」
黄色い長靴だけがはっきりと見える。
「どこの子?」
男の子は路地を指さすと立ち上がり、向こうへと走って行った。

路地の向こうは行き止まり。家が一軒あるだけだ。
8人も子供がいる家。

「みのりー、みのりー。」
ばあちゃんの呼び声に振り返った。

「それと話したら、いかん。」
怖い顔で言われた。

昨日、その路地の家で8人兄弟の一番下の子、マーちゃんが病院に運ばれた。
「栄養失調だって。あー、なんで気付いてあげなかったんだろう。」
救急車を見送りながら、母さんが辛そうに呟いていた。

マーちゃんの家には父親がいなかった。
どうしていないのかまでは、子供の頃のことだからわからない。
ただ、ひどく貧しい家だった。

それから1週間ばかり過ぎた頃、柿の木の所に黄色い長靴の子供がいた。
姿ははっきりしている。

「だあれ?」
私が話しかけると
「マーちゃん。」
と答えた。
マーちゃんではないのに。

私の知っているマーちゃんは、いつも悲しい目をしていた。
でもその子は、大人びた鋭い目をしていた。
ばあちゃんに話すると
「幽鬼が入ったな…。おまえは余計なことは考えんでおけ。」
と言われた。

その日から、その子は当たり前のようにマーちゃんになった。
隠れんぼと鬼ごっこを嫌った。

マーちゃんはいつも黄色い長靴だった。
その家族は、まもなくどこかへ引越した。

順番

私の家は明治時代に建てられた古い日本家屋だった。
裏庭には先祖の墓地がある。
じめじめと湿気っぽい廊下で、1人遊びが多かった。
その日も廊下で遊んでいると、家の中に人が動く気配があった。

「母さん?」
私は人形を放り出し、障子を開いた。
がらんとした十畳の和室には誰もいない。
さらに襖を開けて奥の部屋に進む。

コトリと音がした。
納戸からだ。
納戸に続く木の引き戸を開いた。

白い着物姿の多美おばちゃんが、タンスの中をかきまわしていた。

「ない…ない…。ない、ないない、ない、ない…」
ぶつぶつ言っている。
多美おばちゃんは、東京のB区という所に住んでいる。父の妹だ。
おばちゃんが来ているなんて、誰も教えてくれなかった。
私は台所に母を探した。

「なに?大きな声出しちゃって…」
母は洗濯をしていた。
「多美おばちゃんが納戸にいる…」
「え?」
「白い着物着てる」
「そう…、亡くなったんだよ。里に魂が帰ってきたの」

それから、ずっと母と祖母と父は、仏壇で手を合わせていた。
電話が鳴った。
多美おばちゃんが、自動車にはねられ亡くなったと報せる電話だった。

そう、私の家ではこんな風に順番が違うことが、度々あった。

呼び声

5歳頃のこと。
深夜、呼び声で目が覚めた。
夢の中で聞こえていたのだと思ったが、それでも暗闇の中で耳を澄ませた。

「おーい、おーい…」
「だれかー」

細く尾を引くような呼び声だ。
布団の中で、身動きがままならない程手足を硬直させて、息をするのも苦しい。
目が覚めているのに、まだ聞こえる。金縛りのような状況で耳を研ぎ澄ます。
身動きすれば、相手に見つかってしまうと思った。

声にはたまらない寂しさと、恋しさと、悲しみが詰まっていた。
しじまの中を縫っていっぺんに襲ってきた。
説明するだけの言葉をまだ知らなかった。

闇から聞こえる声が、ただ恐ろしかった。
幼心にも、呼び声はこの世界の声ではないとわかっていた。
夜の闇のもっと深い所で、誰を探しているのか。
自分かも知れない。

耳を塞いでも同じ、どこかすごく遠い所でだれかを呼んでいる。
一度だけ、返事をしてみた。声には出さず、頭の中で、その声に応えた。

「ここにいるよ」

あちこちから、たくさんの反応があった。
闇がざわめいた。
耳から聞こえない声が闇の中で、四方八方から聞こえてくる。
波のように、寄せたり引いたりする。

「だれだ!」
「返事が聞こえた」
「助けて、怖いよー、出してぇー」

別々の場所からの応答があった。
暗闇の奥に向かって声をかけると、果てしない孤独感に襲われてしまった。
高い天井に穴が空いて、空へ向かって開いた穴の淵にいた気がした。

あの呼び声はなんだったんだろ。
あれからしばらくして気にならなくなった。呼び声は聞こえない。
夜の闇は静かになった。

小学校5年生になって、父に天体望遠鏡を買ってもらった。
たちまち天文オタクになり、夜な夜な星を見上げていた。

星空は賑やかなのに、果てしない孤独に襲われることがある。
果てしない宇宙にぽつんと1人でいるような感覚を覚えた時、あの呼び声を思い出した。

悲しく深い呼び声。
果てしなく広い所で、だれかを探す呼び声。
この世界はいつも誰かが誰かを必死で探す声に満ちている。

あの呼び声を聞いてから、私は夕暮れ時に母が子供を呼ぶ声が恐ろしくなった。
夕暮れ時になると、自分が母に呼ばれないうちに走って帰った。

地下の喫茶店

仕事帰り、燐子と喫茶店に入った。
燐子も、あちらの世界の住人が見える。

地下の喫茶店の隅っこのボックス席。
燐子がぶるっと、身震いした。

「あ、ごめん。地下は嫌だなと思ったら、ぶるっときた。」
「燐子いるいる、ほらトイレの横の席。」
席につくなり、きょろきょろと辺りを伺う。私達は奇妙な客だ。
ウエイターが挙動不審の客に渋い顔で水を置く。

「地下のお店は溜まりやすいのよね。」
燐子はメニューをめくり、しばらく考えて、結局2人ともコーヒーを注文した。

「ねぇみのり、言いたくないけど、ついた…。」
「やっぱり。」
ぞくっとした寒気を感じた。

「あなた、未だに受動体質ね。はい深呼吸して。」
燐子に言われるまま、息を吸い、吐き出す動作を繰り返した。

「燐子見えた?」
「なにも。気配だけ。なんか背負ってるわ…。」
「私、気分が悪くなってきた。」

気のせいだろうか、頭が重い。
燐子と早々に別れてタクシーに乗り帰宅した。

部屋に入るなり、電気もつけずカーテンを引いた。
窓に自分の姿がうつる。
ほっとして、カーテンを閉めて明かりをつけた。

異変は深夜に起こった。
金縛りだ。
窓ガラスをバンバン叩く音。
音は次第に大きくなり、部屋に振動が伝わる。
参ったなぁ…。アクティブな霊を連れてきてしまった。

5分ほどもがき、全身汗まみれで金縛りを解いた。
金縛りを手っ取り早く解くには声を出せばいい。
だけどそれは普通の金縛りで、霊による金縛りはそれでは解けない。
目玉でも眉毛でも指先でも、動く箇所の可動領域を少しずつ広げていると、ふっと解ける。

翌朝、カーテンを開けると窓の内側に無数の手跡があった。
窓を全開にして空気を入れ換え、1週間盛り塩を窓枠に置いた。
初めて、霊を連れ帰った。
燐子に顛末を話した。

「よく憑かれるけど、初めてなの?」
意外だったと、笑われた。

結婚前夜

親友の美咲が結婚することになった。
前日、美容院に行って部屋へ戻るとドアチャイムが鳴った。
覗き穴で確認すると、中年の痩せた男性が立っている。

「高梨美咲の父親です。」
私はドアを開けた。
「近くまで来たもんだから、ちょっと寄ったんだ。いつも電話で話すだけだからあんたの顔も知らないが…。」

美咲に電話をする度に、父親が出た。
中学生の頃からよく話した。話しが好きらしく、なかなか美咲に代わってくれなくて、困ったものだ。
学校での美咲の様子や、体育祭の話、遠足のこと、試験勉強のこと。
なんでも楽しそうに聞いてくれる。

「明日は結婚式ですね。おめでとうございます。」
「親がすすめた見合いだから、本当に喜んでいるのかどうか気になってなぁ…。」

私も気にはなっていた。
初めての見合い相手と、すんなり結婚を決めてしまったのだ。
「それで、いいの?」
美咲に尋ねた事がある。
「いいの。貰い手があるだけで十分だもん。」
欲がないというか…。

「そうかね。十分か…、じゃあひと安心だ。」
私は父親の手土産の大福をひとつ食べて、残りは冷凍した。
六つ入っていた。

翌日、披露の前に控室へ挨拶に入った。
純白のドレスを着た美咲は、輝くばかりに美しかった。

「昨日の夕方、お父さんが来たんだよ。」
「え?いつ?ずっと一緒だったけど?」
美咲は眉を寄せる。
控室がノックされた。体格のいい男性が入って来た。
「お父さん、みのりちゃんよ。」
「いやぁ、いつも美咲から聞いていたよ。あんたに一度会いたいと思っていたんだ。」
いきなり、初対面の挨拶。
あたしは曖昧に返事を返した。

その人が出て行くと
「どう?お父さんって、昨日会った人?」
美咲が囁く。
「ううん、違う。もっと痩せた人。」
すると、美咲がいきなり泣き出した。
しばらく泣くと、落ちついた。

「みのり、あの人は二度目の父親、母の再婚相手なの。みのりのところに行ったのは実の父親だと思う。7歳の時に亡くなったのに、なんだか嬉しい。」

では、いつも電話で話していたのも…?
大福もちは、冷凍庫に保存してある。
どうすれば、いいのかわからないのだ。

美咲は幸せな結婚生活をおくっている。
会う度に不思議な話は尽きない。
「お父さんと話したこと、教えて!」

美咲にせがまれて、無理矢理記憶をたどる。
美咲の亡き父親とは、なんせ10年以上のお付き合いだったのだ。

臨死体験

「なんか変だったんだよなぁ。」
この世のもの以外、全く信じない友人の沢田猛。
例え、誰も居ないはずの隣室を歩き回る足音がしても、認めない。

子供時代、一緒に遊んでいた時に
「お化けが怖くてトイレに行けない。」
と言ったら
「そんなこと言ったってかわいいとか思わないよ。」
と憎らしいことを言われてケンカした。

猛は突然の病に倒れ、しばらく生死をさまよっていた。
1週間意識が無く、医師からも覚悟して下さい、と一時は告げられた。
そんな状態からなんとか一命をとりとめ、生還したと猛の母親から連絡がきた。

病室を訪ねると、1人でベッドにいた。
開口一番「三途の川を渡ったんだ。」ときた。
「こんな話を聴いてくれるのは、みのりだけだと思ってさ。」

倒れる前の晩、深夜に物音で目が覚めた。
5才くらいの男の子が、救急車のおもちゃで遊んでいた。
ぴーぽーぴーぽー
床の上を、手で押しながら走らせている。
親戚の子供だろうか。一瞬、目が合った。

なんともいえない悲しげな瞳から、ボロリと一粒涙を落とし、かき消えた。
床には、救急車のオモチャが残っていた。

オモチャには見覚えがあった。
結構気に入っていたのに、いつしか本棚の奥にしまいこんで、忘れていたものだ。
「変な夢見ちゃったな。」
夢を見たんだと、無理矢理自分を納得させ再び眠りにはいる。
起きた時に、足元の救急車を棚へ戻した。

「今思えばわかっていたんだ。あの子供は、自分だって。」
彼は、ベッドの上で力無く笑う。
「倒れる運命だったのかな。自分がお迎えにきたのか、お別れにきたのかはわからないけど…。」
「いいじゃない。今度その子が来たら、念のために病院に行って検査を受けてみれば?予知能力を手に入れたってことね。」
「そんなに都合よくいくわけないじゃん。みのりのオカルト頭ならそう解釈しちゃうのか。」

仕事中、酷い頭痛に襲われてこらえきれずに倒れた。そのまま意識を失った。
24才、クモ膜下出血だった。

「まぁいいか、なんかみのりのオカルト思考もまんざら嘘じゃないってわかった。ねぇ、恐いんだよ。あいつらと付き合い方教えてよ。」

病室の角のカーテンの所には、少女が立っている。猛にも見えるようになったんだ?
「みのり、あれは、なに?」
「向こう側が見えてるだけ、その内慣れるわ。ほとんどはそこにいるだけ、残像みたいなものだと思ってるの。」
「慣れるのかな…。」
「すぐに当たり前になるわ。」

だけど、私は見てしまった。
ベッドの頭の方向の窓に張り付いている、顔、顔、顔。
おそらく、彼の亡くなった親族。
猛から見えない位置でよかった。死神なんかじゃないことは確かだ。どの顔も心配そうに歪んでいる。
あとは彼の生きる力。

「川の向こう側に、じーちゃんや、おばさん達がいた。おれ、三途の川なんか認めないと思ったんだ。差し出された手を振り切って、引き返した。」
その時に、完全には振り切れなかったのだろう。
「いい?生きる気力が無いって感じたら、電話して。すぐに来るから。お返しに元気になったらデートしてよ。」
「無理かもよ。なんか、終わってる…。」
後遺症で震える手を、じっと見つめている。
私は、猛の視線から震える手を両手で包み隠した。
窓に張り付く彼の親族に「帰れ」と念じる。

生きて、生きて、生きて
あんたたちが決めることじゃない。
猛にはまだ迎えはいらない。

「もう大丈夫だから。猛、あんたは生き延びたのよ。無事生還。」
今度は声に出した。

お迎えの親族に伝わったのか、掠れてほとんど見えなくなっている。

私はたくさんの怪異を見てきた。
好む好まざるにかかわらず、普通の風景の中に見てはならないものが飛び込んでくるのだから、避けようがない。

カーブの多い国道の側。柿の木がある。
私がこれまで飛び上がるほど気味が悪かったのは、横断歩道の前に立つ、そのたいして大きくもない柿の木だ。

この木の下に信号待ちをする人が立ち止まる。
事故多発地帯と看板が立ち、カーブミラーの根本には新しい花束が供えてある。

私はこの木を見上げることも、まっすぐ見つめることもしない。
本当は側を通りたくもないんだけれども、駅に続く道なので避けることができない。

まるで木の実のように、鈴なりに何かが実っている。
それは指だったり、耳だったり、何かわからない肉片だったり…。
明らかに人の体のパーツが、枝がしなるほど鈴なりに実っている。
どこの誰かだけはっきりわかる、首をくくった遺体の方が私には怖くない。

この木が事故を招いているのだ。
事故多発地帯には訳がある。
看板を見逃さないで、人にはどうにもならない場所がある。

弔い飛脚

ある休日の夕方、アパートのチャイムが鳴った。
朝からすることもなく、ライブ映像をただ見ていた。
覗きレンズで確認すると、どこかで記憶している男性2人。黒いスーツ姿だ。
開けるべきか。誰なんだ。

「みのり、ドア開けろ。用があってきた。」

イントネーションは田舎の懐かしい訛り。
ドアロックを外した。

「昨日14時30分、○○○部落の加藤雅也さんが亡くなりました。」
あたしは血の気が引くのを感じた。
雅也は幼馴染の父親だ。

私は小学校6年生の時、両親を交通事故で亡くし、町内の大人たちの世話で養護施設に入れてもらった。
それ以来村には帰っていない。

「通夜は今夜行われます。葬儀は明日、10時から執り行います。出棺は午後2時、見送ってやって下さい。場所は○○寺。では。」
深々と頭を下げ階段を下りて行った。

村の人だ。
まだ思い出せない。
東京から3時間もかかる。
何のために、どうして、私なんかの所へわざわざ来たのだろうか。
迷いに迷ったけれど、わざわざ来てくれたのは訳があるのだ。
みのりと名前を呼ばれたのは、あの事故以来かも知れない。
名前を呼んでくれる人がいる。
両親の写真も持たないで家を後にした。忘れようとした。
田舎のことも、両親のことも。

「行こう!」
私は勤めている美容院に3日間の休みをもらった。

駅前のスーパーで黒いスーツと靴を買って、紙袋に入れた。
「泊まる所はあるかなぁ」
ちょっと考えたけど、そのまま切符を買い電車に乗った。

幼馴染である雅敏の父親が亡くなったからって、わざわざ来るものなの?
○○○村には、弔い飛脚の風習があるのはなんとなく知っていた。
電話も電報もない時代。
村の者が亡くなると、村中で四方八方へ故人と繋がる家に知らせて歩くのだ。

でも今は電話も電報もある時代。
しかも親戚でも知り合いって程の仲でもない、雅敏の父親の死を知らせに来るって…。
どう考えても奇妙な話だった。

車窓がビル郡を抜けて緑色に埋まる頃、とある駅前でローカル線に乗り継ぎ、無人駅で降り、バス通りまで30分ほど歩いた。
ようやくバス停に辿り着いた。
それから村まで、バスで30分ほどかかる。
ここから上は集落しかない。今の戸数は分からないが、当時では60軒くらいあったと思う。

バス停に着くと男の姿があった。
こちらを見ているのは、雅敏だ。
彼のことを考えていなかったら気がつかない。あれから10年以上過ぎている。

「もしかしたら、みーちゃん?」
私は頷くだけで精一杯だった。
何があったか、探ろうとさりげない会話をしていく。親が亡くなった顔じゃない。明るいのだ。

「久しぶりだね、どうしてた?施設に同級生みんなで会いに行ったけど、東京のおばさんの所までしか分からなかった。」
「そうなんだ、おばさんに邪魔扱いされて飛び出して、美容院に住み込みで働いてた。大人になるまで、結構大変だった。」
「そうか。それはおばさんに聞いても知らないってなる。」

「今日はどうしたの?」
「いや、どうもこうも…まぁ墓参りに来たんだよ。」
「そうか。じゃあ今夜は俺んち泊まりなよ。」
「独身?」
「山岡ミサって覚えてる?あいつが嫁さん。」

「今日どこかで葬式があるの?」
「なんで?ないけど。」

訳がわからない。
飛脚が来たのは、きっと何かの間違いなのだろう。

バス停を下りて2人で墓参りを済ませた。住職が驚いた顔で迎えてくれた。
「明日がご両親の命日だよ。よほどあんたに逢いたかったんだね。」
そうだったんだ。両親に呼び寄せられたのね。
少し肩の力が抜けた。

寺からの坂道を下ったところで
「あれ、親父だ!」
おじさんが道の向こうから手をかざして見ている。
すると、おじさんはこちらへ寄って来た。
2メートル程の所で立ち止まると
「みのりちゃんか!」
と叫ぶ。
私が頷くと同時、おじさんは動物の咆哮のような雄叫びをあげて、集落に走って行ってしまった。
まるで酷い恐怖、怪異を見たような有様だった。

雅敏の家に着き、さっきのおじさんの様子は何なのか尋ねる。
奥さんも交えて話しても、理由がわからない。
「父さんの様子見てくる。」
聞けば、おじさんは元の家で1人暮らしをしているらしい。
10分もたたないうちに雅敏が戻って来た。

「警察に電話して。父さんが首を吊ってる。」
私は目の前が真っ暗になった。

気がついたときには、たくさんの村の人が心配そうに見守る布団の中だった。

私の両親を車に乗せて、雅敏の父さん、雅也は谷に転落した。
雅也は無事だったが、怖くなって事故を隠した。
それから1週間後、2人は谷底から遺体で発見された。
即死ではなかった。
あの時、発見されていれば生きていたかも知れない。

今頃事実が分かっても、何になるんだろう。
弔い飛脚の風習も、5年前には取り止めていた。

お寺の住職は
「あの世でまだ弔い飛脚を村の衆でやってるんかの。わざわざ東京まで知らせに行くとは、有難い話だと思いなさい。
あんたが1人残されたことをみんな心配してたから、ずっと見守っていてくれていたんだよ。」
と慰めてくれた。

今思うと、あの世に行った村人みんなが、雅也を見張っていたんだ。
雅也は村から出たがっていた。
しかし街へ引越すことになっても、不動産詐欺にあったり、崖崩れで道が封鎖されたり。
雅也が村から出ることは出来なかった。

前の話幽霊のイラスト次の話

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