恐怖の泉

実話系・怖い話「教授の生徒の話」

大学生になりたての頃の話です。
いくつか教養科目をとるなかで、一つ心に残った授業がありました。

その授業を担当していた教授は、とても優雅な老紳士で、いつも和服で教壇に立っておられました。
話すこともかなり古めかしく、少し前の昭和・大正の世の中を生きているような、そんな雰囲気を身にまとっておられました。
その教授が、こう話すのです。

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「大学生ともなりますと、自主的にでも強制的にでも、かなりの量の本を読まなければいけなくなりますね。皆さんはまだ、あまり意識がないかもしれないが…。

私の古い生徒の話なんですが、ひとりちょっと変わったのがいました。彼は非常に勤勉で意欲もあり、私が授業の内外で話題にする本を、ほぼ全て読んで知っているような人だったんです。

その生徒が学業に励み、課題に出した以上のことをノートなりレポートなりで提出してくるのです。本当に、精力あふれる青年でした。
私も授業に気合いが入りましたしね、この子はきっとよい研究者になり、日本の学界の権威になるんだろうなと期待もしていました。

ですがその彼が、ある夏休みを境に変わってしまったんですね。質問もしなくなり、授業中何かにおびえるような態度を見せるようになった。レポートなどの提出は相変わらず精力的でしたが、どうも精彩を欠いているような、そんな感じでした。
私は疲れているんだろうな、と思ったくらいでさほど気に留めなかったのですが…ある時彼と、私の研究室で懇談をする機会があったんです。その時、ようやく彼は打ち明けてくれました。

『先生、はじめは声が聞こえたんです』

彼はそう言いました。
声ってなんだね、と聞くと

『誰もそこにいないのに、声だけが聞こえてくるんです。はじめは大学図書館でした。
おい○○、と男性が僕を呼ぶ声がきこえたんです。
静かにしなければいけない図書館で無礼だな、と思って振り返りましたが、そこには誰もいませんでした。一番近くには女子生徒がいましたが、何も聞こえなかったように書架で本を探しているんです。
そういうことが図書館で何度か続いて、それがしまいに、下宿先の部屋にも聞こえてくるようになったんです…』

彼は私の前では取り乱した様子は見えませんでしたが、明らかに憔悴していました。

『…それで最近は、授業中でもあの声が聞こえてくるんじゃないかと、それが怖くて』
『でも君、それは声だけで、何も悪さはしないんだろう?ただの空耳というやつだよ』

私はそう言って彼をなだめようとしましたが、効果がありませんでした。

『最近は、自宅の書棚に這い回る無数の手が見えるんです。まるでクモみたいに、さらさらと本の背表紙を触っているんです』

その生徒はそう言っていました。」

オチとして、あまりに研究に没頭しすぎるとこのように幻聴や幻覚が聞こえるようになるから、まあほどほどに励んでくださいね…と、教授の話はここでおしまいでした。

その生徒が以降どうなったのかは、知る機会はありませんでした。それでも何となく気味の悪い思いで、記憶に残していた程度です。

その後3年が過ぎ、私は卒業論文の製作に心血を注いでいました。
とにかく大好きな研究分野だったこともあり、自分の全てを注ぎ込んで資料の収集と整理に励んでいた頃です。

それは薄暗さが迫る晩秋の夕方で、私は図書館の閲覧室にいました。個人ブースに書籍を積み上げて読書にふけっていた私の耳元で突然、誰かが

「おい」

と言ったのです。
図太く低い、男性の声でした。

職員の人が何か咎めたのだろうか、とすぐに顔を上げましたが、そこには誰もいません。女子学生がちらほら、私と同様にブースで読書に励んでいるだけでした。
私はすぐに、あの数年前の教授の話を思い出しました。

あくる週末、私は遠方の実家に帰り、休息をとることにしました。
幸いにも、私にその声が聞こえたのは後にも先にもあの時一回だけでしたが…熱心に事を成す際は、ほどほどになさってください。

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