恐怖の泉

実話系・怖い話「薄情な祖父の末路」

この話は、およそ35年前に起きた出来事です。

私の母方の祖父と祖母は、とある地方の農村で生活をしていました。
農業を営んでいましたが、高齢に伴って祖母の体調は悪くなっていき、病院で精密検査を受けたところ悪性腫瘍が発見されて入院することになりました。
既に病状が進行しており、助かる見込みは低かったようです。

祖母が入院してから10日後、主治医から
「成功する確率は低いですが、手術をやってみる価値はあります。」
と言われ、家族で手術をするか否か決断する事となりました。
そこで親族が一堂に会して話し合ったのですが、その場に祖父は現れませんでした。
祖父は
「おまえたちで相談して決めてくれ。俺はどちらでもいい。」
とだけ伝え、なんと祖母の病状については無関心を貫いたのです。

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結局、祖母は腫瘍の摘出手術を受けましたが、腫瘍を取り切ることはできませんでした。
そして6月の下旬、午前6時頃に息を引き取りました。

祖父は祖母が入院している間、一度も病院へ見舞いに行くことがありませんでした。
なんとも薄情な話でありますが、それほど2人の夫婦仲は冷え切っていたと言えるのかもしれません。
祖父は私の母親から
「先生から危篤と言われたよ。会える最後だよ。」
と電話連絡を受けても祖母の病室へ来ること無く、臨終にも立ち会いませんでした。

祖母の遺体は祖父との自宅に帰ってきました。
翌日には通夜があり、翌々日に告別式があったのですが、祖父は会葬者に挨拶を述べるだけ。
火葬場にも行きませんでしたし、納骨するためにお墓へ行くことすらしません。
私は子供ながら、本当に冷たい人間だなと思ったものです。

それから、祖父の様子がおかしくなりました。

当時、私の自宅は祖父の家から自転車で15分程度の距離にありました。
祖母が亡くなってから祖父は一人暮らしとなったのですが、我家へ頻繁に電話がかかってきます。
最初は昼間だけの連絡でしたが、次第に皆が寝静まっている早朝にも電話するようになって、私達にとっては迷惑な話です。
しかもその電話の内容が
「婆さんが出た!」
というものでした。

電話が来る度、母は
「何を言ってるの。幽霊なんか出る訳無いでしょ。寝ぼけてるんじゃないの。」
と祖父をあしらいます。
それでも祖父は、絶えず電話をよこすのです。

休日に、母親と私で祖父の家へ遊びに行ってみました。
祖父は青ざめた表情で
「おい…昨日も婆さんが出たんだよ…。」
と言ってきます。
私は「またか」と少しうんざりしたのですが、そんな態度を感じ取ったのか、祖父は私達を寝室へと連れていきます。
寝室は周囲から襖と障子で仕切られているのですが、祖父は
「夜中に人がいると思って目を開けると、そこの障子の向こう側に婆さんの顔が見えるんだよ。」
と説明します。

「はっきり見えるの?」
母親が尋ねると、祖父は
「はっきり見えるんだよ。俺を恨んでるような目つきで、じっと見てるんだよ。」
と怯えた様子で答えます。
私と母は、これは本当に出たのだなと感じました。

そんな祖父を見て母は
「お父さんは昔、羽振りのいい時にたくさん女の人を作ったでしょ。お母さん、それでもじっと我慢してたんだよ。今度はお父さんが絶えなきゃならんよ。」
と祖父をたしなめ
「ちゃんと、お母さんのお墓参りをして謝りなさいよ。」
と助言します。
祖父は
「わかった。そうする。」
と力無く答えました。

それからというもの、祖父は小まめに祖母のお墓参りをするようになりました。
祖母の幽霊が出る頻度は減ったようですが、それでも何度か祖父の寝室に現れては、恨めしそうな目つきで祖父を眺めていたのだそうです。
こうして祖父は、祖母の幽霊に悩まされ続けたまま余生を送り、私達と顔を合わせては「はぁ」と深いため息をつきます。
「俺は、どうしたらいいんだ…。」
これが晩年の祖父の口癖になっていました。

今ではその祖父も亡くなりましたが、あまりにも薄情だった人間に対して当然の報いだったのではないかと、私は感じています。

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