恐怖の泉

人間の怖い話「餌付けするおばあさん」

これは私の友人から聞いた話です。
彼女は現在でこそ再婚しているのですが、一時期シングルマザーとして子育てと仕事の両立に苦しんでいた時期がありました。
当時は地方都市の賃貸アパートに住んでいたそうです。

そのアパートの上階に、新しい入居者が入ってきました。
定年退職生活をしていると思われる、感じの良い初老の夫婦で、すれ違う際にはいつも友人に挨拶をしていたと言います。

友人が遠目にアパートを見ると、その初老の夫婦の部屋のベランダは、数々の花の鉢植えやプランターで美しく彩られており、殺風景な建物のその一か所だけが、華やかに目立って見えたそうです。
園芸やガーデニングが好きなご夫婦なのだろう、と友人は思いました。

しかし2年ほどがすぎた時点で、その初老の夫婦の旦那さんが亡くなってしまいました。
小さなアパートのご近所さんという関係ではありますが、友人はお葬式に行ったそうです。
奥さんはすっかりうなだれて焦燥しており、その後数か月ほどは友人が廊下やロビーで挨拶をしても、悲しそうにうなずくばかりだったと言います。
ですが、そんな奥さんも春先に気候が良くなるにつれて、しだいに元気になっていきました。
遠目に見るベランダの花々が、冬を越えて再び彩りをつけるのをみた友人は
「ああ、趣味の園芸でまたお元気になられたのだろう」
と思ったのだそうです。

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しかしそれと同時期に、アパート中のベランダにハトのフンや羽根が散らばるようになりました。
変だなと思っていたものの、友人は忙しい生活のためにさほど顧みませんでした。
ところが夏頃、アパートの住人集会の際にある中年男性がいきり立って例の初老の未亡人を糾弾し始めたのです。

「あんた、今年に入ってベランダでハトに餌付けをしてるでしょう!?そのせいでこのアパート中がハトのフンだらけだ。みんな迷惑しているんだから、やめて下さい!」

女性は戸惑った様子で弁解をしました。

「えっ…そんな、ハトに餌をやっちゃいけないんですか?フンのことは知りませんでしたが、みんなあんなに可愛いのに…」

すると中年男性は
「可愛いと思っているのはあなただけで、ハトは害鳥ですよ!第一、町の条例でハトに餌付けするのは迷惑行為と決められているんですからね。続けるようなら出る所に出ますから、そのつもりで!」

言い切って席に着いた男性に、会場の住人たちが拍手をしました。
働きづめの友人は知らなかったそうなのですが、ハトのせいでどうやらアパート中がこの初老の未亡人を敵視していたようなのです。
女性はうつむいて黙ったきり、会の終了まで顔を上げませんでした。

そうして数日後。

ハトのフンや羽根が徐々に少なくなってきたのを住人たちは見ました。
あのおばあさんもわかってくれたのだろうと安堵していたのも束の間、今度は羽やフンのかわりに、アパートのベランダじゅうにハトの死骸が発見される事件が相次ぎました。
その数が十数羽におよんだので、見かねた誰かが警察に通報しました。

どうやらハトは、ネズミ用の殺鼠剤か何かを含んだ餌を食べて死んでいたらしい、と噂が広まりました。
誰かがハトに毒をやった、というのです。
誰かが、と言うものの、住人のだれもが
「あのおばあさんがやったに違いない」
と確信していました。
ハトに餌付けをするのを止められて、その腹いせにやったのではないかと。
友人はこの出来事に恐怖を覚えたそうです。

それから子供も小学校高学年になり、塾に通い始めた息子を送迎するため夕方一緒に歩くことが多くなった友人は、そのおばあさんと頻繁にすれ違うようになりました。
その際、挨拶をして行き過ぎようとする度におばあさんは
「ちょっと待って!」
と呼び止め、バッグからお菓子を差し出すのです。
子どもは素直に「ありがとう」と受け取り、友人もお礼を言うのですが、これが何度か繰り返されたのちに、おばあさんはふと言いました。

「かわいいわねぇ。くーくー言ってるだけじゃなく、ちゃんとお礼を言ってもらえる分、おばあさん嬉しいなぁ。」
と。

その一言に友人はハッと凍り付きました。
まさかハト同様、息子が餌付けの対象にされかけているのではないか、と思ったのだそうです。
不気味なものを感じた友人は急遽、実家の緊急援助を頼んで引っ越しました。

友人は引っ越したその後のアパートの動向は知らないのですが、あのおばあさんの上品な、しかし何かうつろな印象のある微笑みを思い出す度にゾッとする…と言っていました。

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