恐怖の泉

人間の怖い話「空手道場のKさん」

私の友人・Mさんは、小さい頃に空手を習っていました。
かなり好きだったのですが、遠方の大学に進学する際にやめてしまい、以来ずっと遠ざかったままでした。
それから結婚してお子さんが少し大きくなった頃、時間もでき運動不足の解消にと教室を探したところ、お嫁に行った町の近所に運よく小さい頃習っていたのと同じ流派の空手道場を発見しました。
Mさんは大変喜んで入会し、以来週に数回、通っているのだそうです。

夜の大人クラスですので、当然生徒たちは大人ばかり。Mさんのような主婦の方もたくさんいて、瞬く間にお友達ができました。
女性の割合は少ないものの、とても和やかな雰囲気であり、お稽古で汗を流して楽しいおしゃべりと、Mさんはさらに行くのが楽しみになったのです。

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そのMさんのお稽古仲間に、一人の小柄な女性がいました。
30代後半だと思われる、いつも微笑をたたえたような穏やかな表情のKさんです。
話の中心になるタイプではなく、脇でふんふんと相槌をうつ方でした。どんな人に対しても物腰が柔らかく、礼儀正しく接してくれます。
ただ空手の腕前はかなりのもので、美しい姿勢と動作を持っていました。

ところがそのKさん、組手の練習になると人が変わるのです。
Mさんをはじめ、女性と一緒に組む際はごく穏やかに、正しい所作で行うのですが…自分よりはるかに体格の良い大柄な男性に対峙すると、傍で聞いている人の心臓が飛び出すかと思うくらいの、つんざくような気合いの声を出します。
そして打ち込みも素早く強く、男性はあっという間に何本もとられる…というありさまです。

Mさんは、その時のKさんの表情が優しい穏やかないつもの表情とは全く違う、般若のような恐ろしい形相で相手をにらみつけている、と言っていました。
それでも、組手が終わるとKさんはふうっと元に戻り、相手男性に和やかに語りかけるらしいのです。
Mさんは、Kさんのその様子を「本当に空手に打ち込んでいるんだな」とだけ感じいました。

ある日、MさんはKさんと更衣室で隣になったのですが、何気なく見たKさんの足を見てびっくりします。
いつもは空手着に隠れている部分が両脚とも、青あざで埋め尽くされていたと言います。

MさんはKさんにそっと
「お稽古で、蹴りに当たりすぎたの?」
と聞きました。
するとKさんは戸惑った顔で
「いえ、私ったらドジだから、家でちょっとね…。」
とあいまいに笑ったそうです。
Mさんは内心、ひょっとして家族からDVか何かを受けているのかも?と心配になったそうです。

その後も更衣室で見るにつけ、Kさんの青あざは消えることはありませんでした。
Mさんは誰かに相談するべきかどうか迷い続けたものの、一体誰に言えばいいのか分からなかったのだそうです。

そうして数ヶ月が経ち、ある冬の日の夕方。Mさんはいつもよりかなり早めに市立体育館に着いてしまいました。
着替えのために更衣室に入ると誰もいないかのように見えたのですが、その奥にあるシャワー室のブースから、微かな音が漏れ聞こえてきました。

がっ…がっ…

何か硬いもので柔らかいものを打っている、そんな音がしたそうです。
不審に思ったMさんは、そっとシャワーブースを覗いてみました。

中には明かりもつけない暗い空間で、壁に片手をついたKさんが、手に持った何かで自分の両足を打ちすえているのが見えたそうです。
何を持っているのか判別は難しかったものの、どうやら日曜大工に使うスパナのようなものでした。

「もう…お前なんか…私の世界から…消えろ…消えろ…消えろ…!」

「私には…これ以上…どうしようも…できない!」

かすれたしゃがれ声でそう囁きながら、Kさんは何度も何度も、自分の足を打ちすえていたのです。
Mさんはそれを見て固まってしまい立ち去ることも出来ず、目の前の光景を恐怖にかられながら見据えていました。

やがてKさんは長い長い溜息をつき、不意にくるりと振り向きます。
Mさんの存在に驚いたのでしょうが、そこにいたのは悲しくも優しい表情をしたKさんでした。

「ごめんなさい、恥ずかしい所を…。
私ね、こうでもしないと夫を殺してしまいそうで。
誰かを傷つけるくらいなら、自分を叩いた方がましと思ってこうやってるんです。
Mさん、どうか秘密にしておいて下さい。」

Mさんはまだ空手道場に通っていますが、Kさんのことは誰にも言えずにいるそうです。

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