恐怖の泉

怖い昔話「耳なし芳一」

昔、阿弥陀寺(現・赤間神宮)という寺に「芳一」という盲目の琵琶法師が住んでいた。
芳一は平家物語の弾き語りが得意で評判も良く、特に壇ノ浦の合戦の件は誰もが感嘆するほどの名手だったという。

芳一がある晩、いつものように琵琶を弾き語っていると、そこへ女の声が聞こえてきた。
「そなたの素晴らしい腕前を、ぜひ私の屋敷に住まう者達へお聞かせ願いたい。もしよろしければ、ご同行下さいませんか。」
芳一はこんな夜分にと不思議がってはいたが、自分の腕前をかってもらえたのならばと、女性と共に寺を後にした。

スポンサーリンク

女性に連れられるまま向かうと、そこは大勢の人の気配が感じとれた。
「自分の演奏を、こんなに大勢が心待ちにしてくれるとは。ありがたい。」
芳一はいつものように、しかし少しばかり熱の入った旋律で琵琶をかき鳴らした。
聴衆は芳一の演奏に酔いしれ、中には途中で歓声を上げる者もいた。今までにないほどの手応えを感じつつ、芳一は一心不乱に弾き語りを続ける。
やがて壇ノ浦の合戦までくると、あまりの素晴らしさに嗚咽をあげて泣き出す者もいた。

演奏を終えた芳一は、言いようのない達成感と疲労に包まれていた。すると再び女性の声が聞こえてくる。
「評判以上の素晴らしい腕前でした。もしよろしければ、明日もまたお聞かせ願えますでしょうか。ですがこの事は、誰にも言わないようお願いいたします。」
芳一にとっては断る理由もなかった。
こうして芳一は、夜な夜な外出するようになった。

毎晩ふらりとどこかへいなくなってしまう芳一を、寺の和尚は不思議に思っていた。
しかも最近顔色が悪く、痩せ細ったように感じる。
「はて、芳一は毎夜どこへ出かけておるのだ?」
そこで和尚は、寺の男に芳一の後をつけるように頼んだ。

夜、寺男が芳一を見張っていると、ふいに立ち上がった芳一はフラフラと歩き始めた。
寺を出た芳一は迷う事もなく、まるで目が見えているかのように歩いていく。真っ暗な夜道を月明かりだけ頼りにしてついていく寺男は、見失わないようにするのがやっとだった。
しばらくすると着いた先は、安徳天皇の墓前だった。
「なんだってこんな場所に芳一は来たんだ?」
寺男がそう思った矢先、芳一の周りを火の玉が囲った。そして芳一は、鬼気迫る様子で琵琶を弾き始めた。

「なんてことだ!芳一は妖に憑りつかれておった!」
寺男は大慌てで寺に逃げ帰り、この様子を和尚へ話した。

これを聞いて、芳一は平家の亡霊に憑りつかれているとわかった和尚は、翌朝芳一を呼び出して問い詰めた。しかし芳一は、女との約束で何も答えようとしない。
そこで和尚は、昨晩寺男が見た事を芳一へ言って聞かせた。
「まさか…そんな…」
芳一は思わず身震いした。あの聴衆が、この世のものではなかったとは…。
そして和尚は続けてこう言う。
「このままでは芳一、お前も取り殺されてしまうぞ。目が見えんでわからんとは思うが、今のお前は痩せ細って骨が浮き出とる具合だ。」
「和尚、私はどうすればよいのですか…」
「平家一門の魂は、私が鎮めよう。しかしお主の元へ再び亡霊が現れるやもしれん。そこでだ。」

和尚は芳一の身を守る手段として、体中に経文を隙間なく書した。そして
「私は今晩、平家の魂を鎮めるため出向き経をあげる。私が帰るまで、決して口を開くでないぞ。」
と念を押した。

日が暮れると共に芳一は本堂へ閉じこもり、和尚は出かけて行った。
芳一はただ押し黙って、一晩をやり過ごすしかなかった。
するとやがていつものように、女の声が聞こえてくる。
「芳一さん、どこへいらっしゃるのですか…。」
やはり平家の亡霊は芳一を迎えにきた。しかしどうやら経文を書いた芳一が亡霊には見えないのか、寺の中を彷徨い続ける。
しばらく歩き回っていたが、やがて足音もしなくなった。

「あきらめて帰ってくれたのだろうか…」
そう思って少し芳一が安堵した瞬間

「芳一さん」

女の呟きがすぐ耳元で聞こえた。
突然の出来事に思わず声をあげそうになった芳一は、なんとか声を飲み込んだ。
「まずい!見つかった!!」
体中からドッと冷や汗が吹き出してくる。

「芳一さんは見つからないが、ここに耳だけはあるようだ。代わりにこれを持ち帰ろう。」
女がそう言うと、次の瞬間芳一の耳に鋭い痛みが走った。
あまりの痛みに、芳一は気を失ってしまった。

芳一が気づくと、布団の中で横たわっていた。
「おぉ芳一、気がついたか。」
和尚の声が聞こえる。
芳一は「平家の亡霊はどうなったのでしょうか…。」と尋ねた。
「なんとか一晩中経を唱えて鎮めたよ。しかしすまなかったな。お主の耳に経文を書き忘れてしまったため、耳だけ持ってかれてしまった。」
そう言われて芳一が自分の耳を触ると、手厚く治療がされていた。そこに耳がある感触はなかった。

その後、平家の亡霊は二度と姿を現さなかった。
そして怪我が回復した芳一はこの話が知れ渡り、「耳なし芳一」と呼ばれて一躍有名になった。

スポンサーリンク

TOP