恐怖の泉

実話系・怖い話「新聞配達員の募集」

私の働いていた会社が倒産となり、一時的に地元で新聞配達のバイトをしていた時に恐怖体験をしました。
話の前に、まずちょっと地域の背景説明が必要なんですが、部落差別の話も入ってくるので苦手な人はスルーしてください。

その地域は江戸時代の身分制度でいう、士農工商のさらに下、穢多の集落がある地域でした。
家とかはボロボロでかなり酷い町並みだったらしく、昭和の時代に入ってからはそういった地域はすごく優遇されました。
私の地域では家の建替え推奨と道路拡張工事による立ち退きがあったそうで、町並みはがらりと変わったと言います。

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道路も中央分離線のない狭い道路しかなかったんですが、現在は往復4車線、しかも広い歩道と自転車専用道(歩道と自転車専用道の幅だけでも4m以上ある)も両サイドに備えた、幅広い道路が沢山存在しています。
それらはもちろん、多くの立ち退き料を支払って家を取り壊して出来たものです。
道路整備に関係ない場所でも、家の取り壊し料を支払うから家を潰してくれという話が国から来たそうです。

さらには移転してもらう為、市営団地をバンバン建てました。
この移転先用地も高額の立ち退き料を支払って国が買い取ったんですよね。
家を潰すと多額のお金がもらえるってことで、ほとんどの人は家を壊して市営住宅に引っ越すなり、新しく家を建てました。
今では道路整備の行き届いた広い道、新築の家ばかり、しかも市営団地に沢山の人が住んでるので、24時間営業のスーパーやコンビニ、ホームセンターや銭湯が建ち並ぶ等、ものすごく便利な地域となってます。

そんな建替えが進んでる時期に、大きな皮革工場が火事となりました。
穢多って動物の死体を扱う職業だったので、皮革工場とかが地場産業になってたりするんですよね。
皮革工場ってもの凄い悪臭がするそうで、さらには火事で数人死人が出たこともあり、国が土地を買い取って工場を取り潰しました。
国としても、ひょっとして忌のある工場そのものに消えて欲しかった思いがあったのかもしれません。

跡地には、大きな市営団地が建ちました。
10階建ての部屋は2LDK、エレベーターが2基もついて家賃が2000円しないってんですから、住める人はいいな…と感じてました。

前置きが長くなりましたが、私はその10階建て市営団地で恐怖体験をしました。

以前から、地域の新聞配達員募集広告が常に出ているので不思議だなとは思ってました。
無職になってから次の就職先も思うように見つからなかった私は、生活費も次第に底をついてきました。
そこで一時的にこの新聞配達で食い繋ごうと思い、応募しました。

常に募集を出してるだけあって、とりあえず雇ってはもらえました。
しかし3日間は一緒に回るからその間に配達先は全部記憶しろ、出来なきゃ雇えないと言われたので、必死に道順を覚えてなんとか本採用されました。

仕事を始めてみて、この地域の市営団地はエレベーターの無い所が沢山あり、階段の上り下りがキツイからみんな続かないんだろうな、と私は最初に思いました。
実際階段の上り下りは大変でしたし、毎日が筋肉痛の連続でした。
そんな中、エレベーターつきの市営団地はとても助かりました。
上までエレベーターで移動出来ますし、こういう所は通路が横に長いので、平坦な廊下を歩いてる時間は休憩に丁度良かったんですよね。

しかし、先に記しました皮革工場の跡地に建てられた10階建て市営団地だけは、エレベーターがあるのに階段を使いました。
なぜなら、一緒に回ってもらった先輩から
「この市営団地のエレベーターは絶対に使うな」
と厳命されたからです。

どうしてですか?と先輩に聞いたんですけど、色々あるんだよとはぐらかされて、とにかくエレベーターは使うなと言われました。
最初の頃はバカ正直に先輩の言いつけを守っていましたが、階段で10階まで登るのは一苦労です。
そのうちエレベーターを使うようになりました。

てっきり夜になるとエレベーターが停止するとか、住民から苦情でも来るのかと思ったんですけど、そういうのは一切ありませんでした。
明らかに楽だったので、そのうち先輩の言ってたことなんて気にせず、毎回エレベーターを使うようになりました。

そんなある夜、他の新聞配達員との噛合いで配達ルートが変わり、例の10階建て市営団地へ着くのが遅れました。
時間は4時前ぐらいでした。
いつもどおりエレベーターに乗って10階のボタンを押します。
当然エレベーターはウィーンと静かに上がっていったんですが…なぜか9階で停止しました。

あれ?珍しく利用客がいてたんだ…と思ったものの、その階には誰もいません。
まあたまにこういうのはあることなので、気にせずそのまま乗っていたのですが、何故かエレベーターの扉は閉まりません。
仕方なくエレベーターの閉スイッチを押したものの、それでも閉まりません。
すると不意に昔嗅いだことのある、皮革工場独特の悪臭がしてきました。

この時点で脳裏に、そういや先輩がエレベーターに乗るなとキツく言ってた事を思い出したんです。
ものすごく嫌な予感がしてエレベーターから飛び出しました。
するとすぐエレベーターが閉まり、振り返ってエレベーター内を見ると…
ガラス越しに作業服を着てる男性が恨めしそうにこちらを見てました。

もしかしたら皮革工場の火事で、亡くなった人なのか?と感じました。
だから先輩はこのエレベーターを決して使うなと言ってたんだなとわかりました。

その後私はエレベーターを使わずに配達を続けたものの、やはり気持ち悪くてすぐ辞めてしまいました。
やっぱりみんなアレを経験して辞めていくんだろうな、だからみんな長続きしないんだろうな…と納得しました。
私が辞めた以降も、この地域の新聞配達募集は相変わらず出ています。

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