恐怖の泉

心霊スポット「八甲田山」

八甲田山(はっこうださん)は青森県に位置する日本百名山の一つです。
八甲田山とはいっても一つの山ではなく、実際には火山群の総称としてそう呼ばれています。噴火こそありませんが火山活動は活発で、度々火山ガスによる中毒事故が発生しています。
そしてなんといっても、八甲田山を有名にした事件が1902年(明治35年)に発生した「八甲田雪中行軍遭難事件」です。

八甲田雪中行軍遭難事件は、ロシアとの寒冷地戦争に備えて八甲田山で行われた軍事演習に参加した「青森歩兵第5連隊210名」が八甲田山で猛吹雪に遭い遭難。199名が死亡した、登山の歴史上最大の山岳遭難事故です。
遭難の経緯については映画や書籍(創作部分はありますが)などで確認できますので、ここでは省略させて頂きます。

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管理人はたまたま青森に縁があり、真冬に八甲田山の近くにある酸ヶ湯近辺まで行ってみたことがありますが…とんでもない豪雪地帯です。調べてみると、世界でもトップクラスの降雪量なのだとか。
気象庁の観測でも、2013年(平成25年)の2月に観測史上最高の積雪566mmを記録したことは、記憶している方も多いかもしれません。
雪自体はサラサラしていてとても綺麗なものが降るんですけどね、と軽い気持ちで発言できますが、これが八甲田山で登山中に降ったとしたら生きた心地がしないです…。

過酷な環境で遭難された隊員の恐怖や絶望、無念は計り知れないものがあります。あまりにも追い込まれ過ぎて、発狂した方も多かったと聞いています。

悲しい歴史を持つ八甲田山ですが、現在では観光地としても有名で、豊かな自然を堪能できる場所となっております。
亡くなった方の魂が成仏されることを願って…合掌。

【八甲田山の場所】

八甲田山の怖い話

青森県の大学に通う学生男性4人が、夜中に車でドライブに出かけた。向かった先は八甲田山。彼らは肝試しに来ていた。
到着すると、突然車のエンジンが止まってしまい、どうしてもエンジンがかからない。そうこうしているうちに、車の外に気配を感じた。
暗闇の中から足音が響きわたる。足音の主は一人ではないらしく、車の周りはすっかり足音に取り囲まれてしまった。
その時やっとエンジンがかかり、車は急発進してアパートへ到着。4人はあまりの恐怖体験にすっかり怯えていた。
しかししばらくすると、アパートの外からなにやら音がしてきた。

ザッザッザッ…

なんとあの足音がするではないか。
その足音はどんどん部屋に近づき、ついにはすり抜けて部屋の中にまで入ってきた。
足音の主は軍服を着た男たちで、4人はすっかり取り囲まれてしまった。
あまりの出来事に身動きがとれないでいると、軍服を着た男が言った。

「わしはこの男の右腕が欲しい。」

するとまるで堰を切ったように他の軍人たちも喋りだした。
「俺は脚が欲しい。」
「わしは左手が欲しい。」

4人は恐怖のあまり気絶してしまい、気づいたら夜が明けていた。
昨日のことは幻だったのか…と思いたかったが、部屋には泥靴の跡が確かに残っていたのだ。

それから4人は体調を崩して、大学を辞めてしまった。

引用元:怪談百物語新耳袋(第2夜) [ 木原浩勝 ]


遭難事件から暫く経った頃、「中隊規模の一群が八甲田方面からやって来る」という噂が聯隊内に広まった。
その噂は津川聯隊長の耳にも届き、意を決した聯隊長は、衛兵の詰所に待機してその出現を待つ事にした。
底冷えする夜、夜明け間近の事、血相を変えて飛んできた衛兵の報告を聞いた聯隊長は営門に急行(ラッパの音に混じって軍歌も聞こえたとの事)、そして今まさに姿を現さんかと思われた時、聯隊長は抜刀し闇に向って叫んだ。

「雪中行軍隊の諸君よ、よっく聞け!
お前達は勇戦奮闘して見事な最期を遂げた!
今や無情雪裡の鬼と化すとも迷ってはならぬ!
お前達の死は無駄ではなかった!
軍装及び厳寒期の戦術には一大改革が施される事になったぞ!
来たるべき戦役に於いて未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!
行軍隊員はみな靖國神社に合祀される事になったのだ!
迷うな、心安く眠れ!ここはお前達の来る所ではない!
帝国軍人として見苦しい振る舞いはこの聯隊長が許さんッ!
青森五聯隊の雪中行軍隊、回れ右!前へ進め!」

号令をかけると足音はピタリと止まり、八甲田山に向って静かに遠ざかって行き、以来二度と現れる事は無かったという。

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