恐怖の泉

実話系・怖い話「四十七窯」

私の地元は田舎ではありますが、都会から数時間の距離にあります。
駅周辺はまだ少し栄えていますが、10年の間に田舎離れが進み閑散としています。

私は趣味で民話を集めたり歴史を調べたりしていますが、地元でもあまり知られていない不思議な場所が気になっていました。
そこは地元の街を流れる「四十七窯(シジュウシチカマ)」という所です。
地名なのか分かりませんが、地元の歴史書で一度だけ目にしたのでそう呼んでいました。窯の字はひょっとすると鎌か釜かもしれません。

久しぶりにあの場所に行ってみたいと思い、実家へ話をしました。
兄は「そんな所あったかなぁ」と言っていたのですが、話すうちに思い出したようです。

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実家に到着するとすぐに、兄が車を出してくれました。
私は橋の上から川を見下ろし「あの辺りだ」と指差しました。
5歳の時、私はこの場所で不思議な体験をしたのです。

夏の日に、その辺りで泳いで遊んでいたら溺れかかったことがあります。
早い流れに浮き輪ごとひっくり返ってしまいました。
もがけども浮き輪が邪魔をして、体勢を戻せません。声も出せなくて、もうダメだと諦めた時にふっと体が浮上しました。

昼間だった筈が、辺りは暗闇に包まれていました。
なんとか川から上がると、向こうに焚き火が見えます。焚き火に近づくと、薄い着物1枚羽織っただけの老婆が火にあたっていました。

「おや、お前はどこの子だ?」
私はすぐ上の町に家があると言い、名前を名乗りました。
老婆は「ダツエバ」だと名乗り、私を膝に抱いて服を乾かしてくれました。
「お前はちっとも怖がらないな。あの悪ガキの親父にそっくりだ。」
老婆は歯のない口を開いて笑っていました。
「お前を今日は助けてやるが、20年後には命を取るぞ。」
そう言われましたが、20年後がどれ程か良く分からなかったので黙っていました。

そのうち父親と兄の声がしました。
気がつくと辺りは昼間に戻っていて、夏のカンカン日差しの炎天下でした。

あの時の私の記憶はなんだったのか。
そこから20年はとっくに過ぎています。
ダツエバの名前は随分経ってから、三途の川にいる老婆だと知りました。

夢か妄想だったとして、人は知らないことを思い浮かべられますか?
命はまだ続いています。ただ末期癌が見つかり、死の宣告を受けました。
ずっと心に残っていた四十七窯に行って、またダツエバに会いたい!
今回の帰省は藁にもすがる思いでした。

「もう少しここにいたいから。」
私がそう言うと、兄は後で迎えに来ると約束してその場を離れました。
あの体験はなんだったのか。
川を眺めて取り留めもなく考えていると、水面が白く泡立って寒気に襲われ、立ちすくみました。

目の前に、幼い頃見たあの老婆が立っていました。
「おぉ、とうとう死んだか?」
「まだピンピンしてますよ。」
「ピンピン?お前はもう死んだのだ。あとは余生だ。おばばを恐れなかったから返してやった。」
「え?でももうすぐ死んじゃうかも。」
「挨拶に来たのだから生かしてやろう。」

この再会から月日は流れ、私はまだ生きています。
ガンは克服したものの脳梗塞で2回倒れて、階段から3回も落ちました。
生きているのが不思議なくらいですが、なぜか後遺症も無く歩いて食べて、時には旅行にも行きます。

もう少し生き長らえて、また四十七窯でダツエバに会うのが今の私の目標です。

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